その日のつるるんとんは、
いつもより少し静かな午後でした。
カラン、と控えめな音を立てて
ドアが開きます。
入ってきたのは、
きちんとしたスーツに、
深くかぶった帽子のキツネ君。
その帽子は、
まるで「今の自分を見ないでほしい」と
言っているようでした。
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「……あの、予約してた者です」
声は低く、
どこか張りつめています。
つる君は、
帽子の奥の視線に
すぐ気づきました。
「いらっしゃいませ。
今日は、全部まとめて
ゆっくりしていきましょう」
その一言に、
キツネ君の肩が、
ほんの少しだけ下がりました。
⸻
席に座り、
帽子を取る瞬間。
キツネ君は
一瞬、目を閉じます。
「……実は、
仕事が忙しくて家で恋人に切ってもらったのですが……
失敗してしまって」
言葉の端に、
悔しさと、
情けなさと、
そして強いプライドが
にじんでいました。
「この髪型じゃ、
絶対!会社に行けなくて……バカにされたくないし今日は休みました」
ロナは、
キツネ君の足元で
ごろん、と横になりました。
「大丈夫ですよ」
つる君は、
鏡越しに優しく言います。
「これは“失敗”じゃない。
今、ちょっと迷子なだけです」
⸻
髪に触れたつる君は、
全体を見て、
少し考えました。
「……隠すより、
活かしましょう」
そう言って、
つる君はパーマを提案します。
「恋人さんの手の跡を、
新しい流れに変えましょう」
キツネ君は、
少し驚いた顔をして、
そして――
ゆっくり、うなずきました。
⸻
パーマの時間。
キツネ君は不安でまだまだ半信半疑です。
キツネ君の不安はよそに淡々とすすんでいきます。
るんちゃんによる
お顔剃りとお顔の毛穴洗浄
温かい蒸気と、
やさしい指先。
「……最近、
失敗しちゃいけないって
ずっと思ってました」
キツネ君は、
ぽつりと言いました。
「商社の仕事も、
恋人との関係も……
完璧じゃないと
価値がない気がして」
るんちゃんは、
静かに答えます。
「完璧な人ほど、
苦しくなりますよ。」
その言葉に、
キツネ君の目が
少し潤みましたが、上手く泡で隠れました。
お顔の毛穴洗浄のあとは、
極みヘッドスパ。
つる君とるんちゃんの
息の合ったリズム。
頭の重さがほどけ、
心の奥に溜まっていた
力も、
すーっと抜けていきます。
「……失敗した髪を
直しに来たはずなのに」
キツネ君は、
小さく笑いました。
「なんだか、
自分の考え方を
直してもらってるみたいです」
⸻
仕上げのカット。
くるくるとした
柔らかなパーマが、
キツネ君の表情を
一段、やさしく見せました。
鏡の中の自分を見て、
キツネ君は
しばらく黙り込みます。
そして――
「……これ、
悪くないですね」
その声は、
来店時とは
まるで別人のようでした。
「失敗を、
なかったことにしなくても、
いいんですね」
つる君は、
にっこり笑います。
「失敗は、
次の形になるだけです」
⸻
帰り際。
キツネ君は、
帽子を手に持ったまま、
かぶりませんでした。
背筋を伸ばし、
ドアの前で
一度、振り返ります。
「……明日、
会社に行けそうです」
その表情は、
自信にあふれ、
まっすぐでした。
ロナが、
「行ってらっしゃい」と
言うように
しっぽを振ります。
⸻
外に出たキツネ君は、
帽子を
そっとカバンにしまいました。
風が、
新しい髪を
やさしく揺らします。
その風は、
こう囁いているようでした。
――完璧じゃなくても、
前に進んでいい。
つるるんとんのドアは、
今日もまた、
誰かの心を
軽くして閉じられました。
<おわり>